日本が持つILOでの初めて記録

やや旧聞になりますが、今年1月に東京ユニオン事務所もあるユニオン運動センターで開催している「社会的労働運動研究会」に国際労働機関(以下「ILO」)の労働側理事を務めていた中嶋滋さんをお招きして話を伺いました。テーマは『ディーセントワーク』でしたが、本論に入る前段でされたお話に「へぇ~」「と「やっぱり!」が合わさった感覚を持ちました。
それは、日本がもっているILOで初となる3つの記録の話。日本は第一次世界大戦の戦勝国だったことから、1919年のILO設立のメンバーに加わります。一つ目は、その第1回目のILO総会での選挙のときのこと。このときの日本の労働代表は、日本政府が労働者の意思を代表しないで勝手に選んだため、資格審査委員会で無効とされたというのです。設立の第1回目の選挙ということもあり、とても不名誉な記録です。
二つ目は1965年のこと。この年、日本は結社の自由を規定したILO87号条約を批准しましたが、批准した結社の自由に関する調停委員会が、同じ年に世界で初めて日本に派遣されます。このとき日本の公務員にILO87号条約に示される結社の自由、団結権保障の諸原則が適用されていないとして、多くの法改正を求める非常に包括的で厳しい結論を出したそうです。
三つ目は、ILOとユネスコが合同勧告をつくったときのこと。教育内容についてはユネスコ、教師の労働条件や権利その他についてはILOで合同の勧告をつくりました。その勧告には、教育の中身とそれに携わる教師の労働者の権利について国際基準があります。その基準に日本の教育現場が適合していない。特に教育の内容について、職員としての立場、組合としての立場から参画をしていくという是正を求められたのですが、日本は実施しようとしていませんでした。そこで、ユネスコとILOの専門委員会が日本に合同調査団を派遣して、約3週間にわたって調査しました。この合同調査団が派遣されたのも、日本が初なのだそうです。
太平洋戦争に突入していく中で、日本は国連を脱退する際、ILOも同時に脱退します。しかし、戦後の1951年に復帰。復帰直後は理事を出すことはできませんでしたが、後に政労使ともに理事を務めるという数少ない国になっています。
こうして復帰したのだから、国際労働基準を見据えて積極的に国内法を整備するかというとそうではありません。日本のILO条約の批准は先進工業諸国と呼ばれる国々の中でも極めて少ない。中嶋さんは熊沢誠さんの言葉を準えて「国際労働基準は、企業の門前で立ちすくんでいる」と言っています。
21世紀になっても、労働法の整備を進める議論の場で「過労死は自己責任」「もっと使い勝手のいい制度(派遣法)にしてほしい」などと臆面もなく発言する人たちが経営者の代表となっている現状は、ある意味で戦前から一貫した日本の経営者の態度なのかもしれないという気がしました。
戦後66年目を迎え、大震災に見舞われた日本社会。時代の節目として、新しい価値観で新しい一歩を踏み出す時かもしれません。

なお、次の社会的労働運動研究会は、精神科医の野田正彰さんをお招きして以下の日程で行います。
興味のある方は、是非、ご参加ください。
日時:8月20日(土)14:30~
場所:ユニオン運動センター会議室
テーマ:災害が日本社会に問いかけているもの
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書記長・関口

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